国会議事堂を中心に内閣総理大臣官邸(首相官邸)、衆議院議長・参議院議長公邸、諸政党の本部などが立地し、隣接する霞が関とともに日本の国家中枢機能が集中する。
・東京メトロ丸ノ内線・銀座線 赤坂見附駅 |
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・東京メトロ半蔵門線・南北線・有楽町線 永田町駅 |
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・東京メトロ南北線・銀座線 溜池山王駅 |
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・都バス(橋63)永田町 |
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・外堀通り |
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・国道246号線 |
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・首都高速3号渋谷線 |
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・首相官邸
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・日枝神社 |
<由来板>
■設置年月日:平成17年2月27日
■所在地:永田町2−10
この界隈(かいわい)は、かつては頭上をツバメが飛び交い、水辺では蟹(かに)をとることもできたそうで、風がすがすがしくわたる自然あふれる土地でした。江戸時代初期には近くに馬場(ばば)がありました。その道筋に永田(ながた)姓の旗本(はたもと)の屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれ、これが町名の由来になっています。
江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」と呼ばれ始めました。明治期には大半が軍用地に変わりましたが、国会議事堂が昭和十一年(1936)に完成すると、国政の機能が集中し、政治の中心地となりました。
かつて住宅地と商店街、高級料亭が点在した永田町は、太平洋戦争末期の昭和二十年(1945)、木造建築物の強制撤去と五月の空襲で、わずかに官邸、永田小学校、一中の講堂、山の茶屋を残してことごとく焼失。あたりの様相は一変して、終戦をむかえました。
立法の府・国会議事堂を背に山王(さんのう)坂を下ったこのあたりが永田町二丁目になります。左手方面には平成十四年(2002)完成の首相官邸が立ち、隣接する旧官邸は公邸として激動の七十三年の歴史を語りつぐ役割をになっています。正面の星(ほし)が岡(おか)の高台には緑ゆたかな日枝(ひえ)神社の杜(もり)があります。戦火をまぬがれた大銀杏(おおいちょう)と鳥居をくぐり、表参道である山王男坂を上がると荘厳な社殿がむかえてくれます。切り通しを経て立つ日比谷(ひびや)高校は、東京府立第一中学校時代の昭和四年(1929)に日比谷から移転し、発祥地の名を継承しています。
昭和三十三年(1958)、日枝神社の社殿が完成し、町に復興のきざしがみえてきました。二・二六事件(昭和十一年、1936)の舞台にもなった山王ホテルは戦後、駐留軍施設から四十四階建ての山王パークタワーとなりました。料亭「幸楽」は、ホテルニュージャパンとして復活し、さらにホテルが火災によって焼失したあとは、三十八階建てのプルデンシャルタワーになるなど、超高層ビルが立ち並ぶようになったのです。