7代 |
岡田 光一郎 | : 令和元年〜 |
6代 |
安達 保俊 | : 平成8年〜令和元年 |
5代 |
石田 謙二 | : 平成6年から8年 |
4代 |
石川 吉正 | : 昭和62年〜平成6年 |
3代 |
石井 藤蔵 | : 昭和44年〜62年 |
2代 |
寺田 治郎作 | : 昭和32年〜44年 |
初代 |
土師野 幸一 | : 昭和26年〜32年 |
<連合町会創立50周年記念誌より転載>
※記載内容は記念誌発行時(平成18年3月)のものです。
麹町出張所地区連合町会五十周年誠におめでとうございます。当麹町一丁目は、一二三町会が独立して一丁目町会と名称が新たになって現在に至っております。
初代町会長には土師野幸一氏、第二代は寺田治郎作氏、第三代は石井藤蔵氏、第四代は石川吉正氏、第五代は石田謙二氏、そして私、安達保俊と続いてきました。
一丁目町会員として当町会には、麹町警察と麹町消防署があります。したがって、町は非常に安全、安心に住める町として栄えています。又、一丁目といえば皇居が隣りにある事です。特に半蔵門があるので半蔵門の由来を挙げてみます。 麹町一丁目から皇居吹き上げ御殿に入る土橋、橋の北側は半蔵濠、南側は桜田濠。半蔵門は元和六年(一六二〇)に伊達政宗ほか六名によって建築され、麹町御門とも言われていました。半蔵門という名前は服部半蔵正成がこのあたりに屋敷をあたえられ、この門を守ったことに由来すると言われています。服部半蔵は小説や時代劇などでは伊賀忍者として描かれていますが、徳川十六将に数えられる旗本で正成の父保長の代に伊賀から三河に移転し徳川に仕えていたといいます。
また、当町会には太田姫稲荷神社が祭られています。これは由緒ある稲荷で、先代役員六人の人達が、駿河台太田姫稲荷神社の分社として当所に遷座して今日に至っております。同神社は室町時代太田道灌の娘が当時流行した天然痘を病み、薬石効無く一日一日と悪化の道をたどりつつあったとき、友人に「山城国一口の里にある稲荷神社に祈願しなさい」と言われ、道灌は早速同神社に参詣祈願したところ姫の病は忽ち平癒したと言います。江戸築城のとき、道灌はこの一口稲荷を崇敬、感謝の念で伏見より勧進し、江戸城に御祀りしたのです。時は長禄元年(一四五七年)の頃であったと言われています。その後、徳川家康が江戸に入府し、江戸城改築の際には、城内にあった神社仏閣を城外に移しましたが、太田姫稲荷神社も駿河台の淡路坂(一口坂)上に遷座され、その後変遷を経て現在の地に鎮座しております。
町会行事は、一月には平河天神で初詣を兼ねた新年会を、五月には総会を行ない、六月には日枝神社の祭礼に参加し、九月には敬老の日で高齢者に記念品を贈呈しています。十月には区の運動会に参加し、十二月には忘年会をしたりして町会を運営しています。
今後とも連合町会のなお一層のご発展を記念いたしております。