皇居の西側に位置し、吹上御所とは半蔵濠、内堀通りをはさんだ位置にある。
・東京メトロ半蔵門線 半蔵門駅 |
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・都バス(宿75)(都03) 半蔵門 |
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・麹町大通り |
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・内堀通り |
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江戸城に入った徳川家康は、城の西側の守りを固めるために、この一帯に大番組(おおばんぐみ)に属する旗本(はたもと)たちを住まわせました。ここから「番町(ばんちょう)」という地名が生まれ、この界隈(かいわい)には多くの武家屋敷がありました。
明治になると、中央官庁や皇居に近接したこの地には、政府役人の官舎や華族(かぞく)の屋敷が並び、山県有朋(やまがたありとも)の邸宅もありました。
文化人たちにも一番町は愛されていました。小説家、劇作家として名高く、画家でもあった武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)はこの地に生まれ、結婚してからもしばらくその屋敷に住んでいました。「荒城(こうじょう)の月」「花」などの歌曲で知られる作曲家の滝廉太郎(たきれんたろう)や、「からたちの花」「赤とんぼ」などを作曲し、西洋音楽の普及と発展に努めた山田耕筰(こうさく)もまた一番町の住人です。昭和三十二年(1957)に制定された「千代田区歌」は、佐藤春夫(さとうはるお)が作詞、山田耕筰が作曲したもので、英国大使館前に区歌の碑が残されています。
昭和十三年(1938)、かつての五番町(ごばんちょう)と上二番町(かみにばんちょう)、元園町一丁目(もとぞのちょういっちょうめ)の一部が一緒になって、現在の一番町となりました。
新たな文化を積極的に取り入れ、近代思想の礎(いしずえ)を築いた町、それが一番町なのです。