千代田区の西部に位置する。地域北部は東京FM通りに接し、これを境に麹町に接する。地域東部は隼町に接する。地域南部は青山通りに接し、これを境に永田町に接する。地域西部はプリンス通りに接し、これを境に紀尾井町に接する(地名はいずれも千代田区)。
・東京メトロ半蔵門線・南北線・有楽町線 永田町駅 |
|
・都バス(橋63)平河町二丁目 |
|
・半蔵門通り |
|
・首都高速4号新宿線 |
|
・プリンス通り |
|
・平河町遺跡 |
<由来板>
■設置年月日:平成16年6月10日
■所在地:平河町2−1
平河町(ひらかわちょう)の名前は、菅原道真(すがわらみちざね)公を祀(まつ)った平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)が起源であるといわれています。しかし、この界隈(かいわい)が「ヒラカワ」と呼ばれるようになったのは、明治に入ってからのことです。
江戸時代のこの一帯は、旗本(はたもと)の屋敷が立ち並ぶ武家地でした。一方、この界隈には狭いながらも商人や職人が集まる町屋(まちや)も存在していました。古絵図を見てみると、武家地の北側に、湯島亀有町代地(ゆしまかめありちょうだいち)や教授所附町屋敷(きょうじゅしょつきまちやしき)、木挽町四丁目裏上納地替地(こびきちょうよんちょうめうらじょうのうちかえち)など、独特の名をもつ町が見受けられます。
また、現在の平河町二丁目16番あたりは、通称で「三軒家(さんげんや)」と呼ばれていました。町会の資料によると、この呼び名は、両替商伊勢武の田中武兵衛、三河屋酒店の磯貝善兵衛、魚や伊せ彦の永田安次郎の三軒の店から付けられたようです。三軒家をかたどった図柄は、町内の祭礼等に使う手拭(てぬぐ)いなどに印され、町のシンボルとして大切に受け継がれています。
明治四十四年(1911)、麹町平河町と呼ばれていた町が平河町と改名されました。そして昭和九年(1934)、平河町四丁目と五丁目の一部、六丁目が合併し、平河町二丁目が生まれ、現在に至っています。