永井荷風は当時としては、一流の知識人だった両親を持ち、上流の家庭に育ったことが彼の文学の性格を決定づけたともいえる。彼は、この良家の環境に終生反抗しつづけたのである。その最初の”反抗期”を過ごしたのが、まさにこの番町の地ではなかっただろうか。彼が旧一番町(現:三番町)に越してきたのは、明治二十七年、彼が十五歳の時であった。
(番町麹町「幻の文人町」を歩く より抜粋)