9代 |
湯田 嘉彦 | : 平成17年〜 |
8代 |
瀬谷 祐一 | : 平成13年〜17年 |
7代 |
早川 平典 | : 平成元年〜13年 |
6代 |
湯田 忠義 | : 昭和55年〜63年 |
5代 |
高野 健夫 | : 昭和49年〜55年 |
4代 |
瀬谷 一良 | : 昭和39年〜49年 |
3代 |
岡田 庫三 | : 昭和33年〜39年 |
2代 |
江川 六兵衛 | : 昭和30年〜33年 |
初代 |
葛和 栄一 | : 昭和26年〜30年 |
<連合町会創立50周年記念誌より転載>
※記載内容は記念誌発行時(平成18年3月)のものです。
三十周年より今日までを少し振り返ってみたいと思います。
ちょうど三十年前、父が町会長をやっていましたが、一九八八年十一月に他界しました。その後早川平典氏が町会長に就任し、六期十二年の長きにわたりつとめられました。
その間、町は道路の拡張以来オフィス化し、地元の商店が減りつづけました、そしてバブルが襲い、住民が三分の一ぐらいいなくなりました。そのような状況のなかで、早川氏は他町会と合同で行事を行うようにと四丁目、五丁目、六丁目と麹西連を結成し、日枝神社祭礼をおこない、さらに正月のもちつき大会をおこないました。それ以来今日まで麹西連の行事として続いております。
また二番地に建ったオリコビルに町会用の倉庫を提供してもらい、たいへん役立っております。それに加え会議室も使わしてもらっております。そしてビルの一角にバブルの時に日枝神社にお預けしていました町会のお稲荷さんをお迎えする事が出来ました。それ以降毎春例大祭を行っております。たいへん有り難く思っております。
早川会長は十二年もの間、ひとりで町会を運営されていました、たいへんご苦労さまでした。
二〇〇一年より早川氏より瀬谷祐一氏に町会長が引き継がれ四年間勤められました。
この四年間瀬谷氏を中心に私たちの世代の会員で町会の運営をしてまいりました。その間なにごともなく無事すみましたが、町会員の高齢化がすすみ、引退する方が増えて行く一方、若い方々の参加もままならず、参加者も減ってきました。
二〇〇五年に私湯田嘉彦が瀬谷氏より町会長を引き受けましたが今後の課題がいっぱいです。
町会員の減少とともに次の世代に引き継がれるように若い方々の加入、参加をお願いし
なければなりません。
また麹西連だけのみならず他町会とも交流を深めていかなければならないと思います。例えば防災組織などは、いまの一町会ではできません。とくに企業の方たちの参加が不可欠です。いままで町会にとって、企業のかたとどのように関わっていけばよいのか模索していましたが、なかなかよい案がみつかりません、会費だけ戴いている状態です。
また千代田区との関わりも、住民が少なく状態でどのようにするかも課題です。企業は区との関わりが少ないそうですが、町会をつうじて関わりもあるので、考えなければとおもっております。
いままで簡単に流れをのべてまいりましたが、このままの状態でこれまでとおなじように運営して行く事は可能ですが、さきはみえております。すべきこと、選択枝はほとんどありません。時間はもうありません。決断して実行する段階だと思います。連合町会創立五十周年がよい機会だとおもいます。