<由来板>
■設置年月日:平成16年6月26日
■所在地:麹町5−2
江戸時代以前、このあたりは矢部村または横山村と呼ばれていました。徳川家康が江戸に入った後、現在の麹町(こうじまち)大通り(新宿通り)沿いに町屋が開かれ、麹町となりました。通りの南側は谷地でしたが、寛永(かんえい)のころ(1624〜1644)、四谷堀(よつやぼり)を掘ったときに出た土を使って埋め立てられ、町が整備されていきました。
この界隈(かいわい)が麹町と名付けられた由来については諸説あります。町内に「小路(こうじ)」が多かったためとも、米や麦、大豆などの穀物を発酵させた「麹(こうじ)」をつくる家があったためとも、また武蔵国府(むさしこくふ)(現・府中市)へと向かう「国府路(こうじ)」があったからともいわれています。
ここには慶長(けいちょう)のころ(1596〜1615)、十五軒ほどの遊廓(ゆうかく)がありましたが、元和(げんな)三年(1617)にほかの地域の遊廓とともに日本橋葺屋町(ふきやちょう)へ移転して、吉原(よしわら)(新吉原と区別して元(もと)吉原と呼ぶ)となりました。
町屋の北側は寺院、南側は武家屋敷で、安政(あんせい)三年(1856)には、栖岸院(せいがんいん)や志摩鳥羽(しまとば)藩稲垣家上屋敷(かみやしき)などがありました。