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六番町町会

地理・地域・交通

千代田区の西部に位置する。地域北部は二七通りに接し、これを境に千代田区五番町に接する。地域東部は日本テレビ通りに接し、千代田区四番町に接する。地域南東部は千代田区二番町に接する。地域南西部は千代田区麹町に接している。地域西部はJR中央線の線路などに接し、これらを境に新宿区本塩町に接する。

 

最寄駅
・東京メトロ丸ノ内線・南北線 四ッ谷駅
・JR中央線 四ッ谷駅
バ ス
・都バス(宿75)(都03)四谷駅前     (橋63)番町
道 路
 
・外堀通り
・日本テレビ通り
地 域
・四ッ谷見附跡



六番町の由来   

六番町 町名由来板

<由来板>

 ■設置年月日:平成16年5月28日

 ■所在地:六番町14

 

江戸城に入った徳川家康は、城の西側の守りを固めるために、この一帯に「大番組(おおばんぐみ)」と呼ばれる旗本(はたもと)たちを住まわせました。ここから、「番町(ばんちょう)」という地名が生まれました。

現在の番町小学校が建っている場所には、かつて定火消(じょうびけし)(消防)の役屋敷(やくやしき)があり、のちに上野小幡(こうずけおばた)藩上屋敷(かみやしき)となりました。四谷御門(よつやごもん)寄りの広い敷地には、尾張(おわり)藩付家老(つけがろう)成瀬隼人正(なるせはやとのかみ)の上屋敷がありました。明治以降は、下六番町(しもろくばんちょう)という町名になり、昭和十三年(1938)から現在の六番町になりました。

明治から大正・昭和にかけては、数多くの文化人や高級官僚の住宅地として発展しました。『破戒(はかい)』『夜明け前』の島崎藤村(しまざきとうそん)、『婦系図(おんなけいず)』『天守物語(てんしゅものがたり)』の泉鏡花(いずみきょうか)、アララギ派の歌人島木赤彦(しまきあかひこ)、『或(あ)る女(おんな)』の有島武郎(ありしまたけお)、「三田文学」で活躍した水上瀧太郎(みなかみたきたろう)、『父帰る』の菊池寛(きくちかん)、『多情仏心(たじょうぶっしん)』の里見とん※1(さとみとん)、『百鬼園随筆(ひゃっきえんずいひつ)』の内田百間※2(うちだひゃっけん)など、多くの作家たちが居を構えました。また、印象派を紹介した画家で作家でもあった有島生馬(ありしまいくま)、エコール・ド・パリで活躍した画家の藤田嗣治(ふじたつぐはる)、歌舞伎俳優の初世中村吉右衛門(なかむらきちえもん)、初世市川猿翁(いちかわえんおう)、二世中村又五郎(なかむらまたごろう)、三世市川猿之助(いちかわえんのすけ)、長唄の吉住慈恭(よしずみじきょう)などの芸術家も六番町の住人でした。

かつては日本の近代的女性を育(はぐく)んだ明治女学校、日本の歌壇の中心的存在であったアララギ出版所、菊池寛が創立した文藝春秋社もあり、白樺派(しらかばは)の誕生にかかわった有島邸や若い作家たちが集った鏡花邸など、まさに六番町から、日本の近代文学や芸術が開花したといっても過言ではありません。

※1 「弓偏に享」という字です。

※2 「間」の字は、本来は「門構えに日」でなく、「月」が入る字です。