現在では千代田区内で唯一墓地を持つ寺院である心法寺(しんぽうじ)。江戸時代初期から続く古刹は、徳川家康の信認厚い然翁聖山上人(ねんおうせいざんしょうにん)が家康の国元である三河から連れられ、江戸で新たに開山されたものです。
当初は市ケ谷周辺に広大な土地を与えられる予定だったものの、満ち足り過ぎると堕落すると己を戒め、それよりも狭い麹町の土地を選んだそうです。また江戸城下の寺院であるにも関わらず、当初は番町の武家を檀家とせず町人のためのお寺にするというユニークな存在であったようです。
心法寺の他にも、坂にその名前を残す善国寺(ぜんこくじ・神楽坂に移転)、常仙寺(じょうせんじ・杉並区に移転)などの寺院が立ち並んでいて、寺町としてまちの心の拠所となっていました。
この近辺の台地は旗本の武家屋敷が並んだ番町と比べて起伏があまりなく、寺院の境内を比較的広く取ることができたのも、寺町が形成された一因と考えられます。
ちなみに、千代田区で最も標高が高いのは、実は四ツ谷の土堤なのです。ところが、洪水ハザードマップでは、土堤に沿って浸水の危険性が示されています。土堤の高まりが雨水の排水を妨げてしまうのかもしれません。
<当日配付資料>
PDF版はこちらから(5.38MB)
<< 前の記事へ 台地の起伏が作った文人町 | 都心の大動脈となった尾根道 次の記事へ>>