番町の土地に細かなデコボコが多くあることは、江戸時代初期に旗本たちの屋敷として宅地開発する際のメリットとなりました。
細かな起伏に合わせて区画を刻むことで、大き過ぎず小さ過ぎず、旗本の石高に合った「手頃な広さ」が提供できたのです。
そして明治時代になり旗本たちが去った後、番町は中流上層階級が住むのに「手頃な広さ」の町として受け入れられ、そこに住んだ人たちが文化の担い手となっていきました。


この番町の文人町の様子をまとめたのが『現代番町麹町絵図』。麹町界隈わがまち人物館の館長である六番町町会・新井町会長を中心に、どんな文人がこの地に暮らしたのかをまとめたものです(麹町出張所でも配布中)。

ちなみに「番町文人通り」の名前も、新井町会長の発案だそうです。そのハイソな響きは一帯の地価にも貢献しているとか?



<当日配付資料>

当日配布資料(画像)

 

 

 

 

 

 

 


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