千代田区の南東端に位置し、中央区(銀座)・港区(新橋・西新橋)との区境にあたる。
・都営三田線 内幸町駅 |
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・都バス(橋63)(東98)内幸町 |
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・日比谷通り |
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・東京高速道路 |
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<由来板>
■設置年月日:平成16年6月26日
■所在地:内幸町1−1
この界隈(かいわい)には江戸時代の初期から大名屋敷が置かれていました。安政(あんせい)三年(1856)の絵図にも見られるように、陸奥白河(むつしらかわ)藩阿部家、薩摩(さつま)鹿児島藩島津家、肥前小城(ひぜんおぎ)藩鍋島家、大和郡山(やまとこおりやま)藩柳沢家、日向飫肥(ひゅうがおび)藩伊東家、石見津和野(いわみつわの)藩亀井家の上屋敷(かみやしき)がありました。
明治五年(1872)、阿部家、島津家、鍋島家の上屋敷を合併して内山下町一丁目(うちやましたちょういっちょうめ)、柳沢家、伊東家、亀井家の上屋敷を合併して内幸町一丁目(うちさいわいちょういっちょうめ)となりました。内山下町、内幸町という町名は、山下御門(ごもん)、幸橋(さいわいばし)御門の内側に位置していたことに由来しています。
昭和十三年(1938)、区画整理により内山下町一丁目と内幸町一丁目の東側が合併して新たに内幸町一丁目となり、内幸町一丁目の西側は内幸町二丁目となりました。かつては上流階級の社交場であったこの町は、戦後、多くの企業が名前を連ねるオフィスビルなどに姿を変えました。