6代 |
小林 喜一 | : 平成29年~ |
5代 |
布村 定雄 | : 平成3年〜平成29年 |
4代 |
河原 一義 | : 昭和57年〜平成3年 |
3代 |
上田 鉄太郎 | : 昭和49年〜57年 |
2代 |
小林 要三吉 | : 昭和36年〜49年 |
初代 |
奥山 保 | : 昭和26年〜36年 |
<連合町会創立50周年記念誌より転載>
※記載内容は記念誌発行時(平成18年3月)のものです。
麹町は、武蔵野台地の突端「四谷・麹町台地」の尾根沿いに、旗本屋敷や諸藩の藩邸の日常の用に供する大町地として、江戸の都市化の進展とともに大いに賑わい、江戸町名読込みの俳諧にも「商いの道かせぐらん麹町」と謳われたほどであったそうです。
JR四ッ谷駅の麹町口(現麹町六丁目)は江戸時代は四谷御門であり、甲州街道への江戸城西の玄関口でした。江戸名所図会(安政三年発行)には当時の往来の様子が描かれています。「通行人はアリのようで、刀を差した武士、裃をつけ供を従えた武士巡礼、旅人、物売り、供を連れた奥方、辻駕籠、荷駄・・・等々」実に細かく豊かに表現されています。
これが今からたった百五十年前の現麹町通りの姿でした。
また、明治になっても、その繁栄の様子は、現在のスクワール麹町の地に観工場(現在いうデパートのようなもの)があったということからもうかがえます。
今、半蔵門への道は国道二十号線で、四谷見附橋の拡幅もなり近代的なビルディングの立ち並ぶ麹町大通りへと変貌しました。昼夜をとわず車が連なり、歩道も行き交う人の波で、朝の通勤時間などは四ツ谷駅方面へはまともに進めません。
三代日の町会長の上田さんは四ツ谷駅の麹町口、六丁目の清掃を一年中三六五日なさった方でした。当時はタバコの吸殻は山のようにたまりました。しかし現況はどうでしょうか? 人の波は数十倍でしょうに、吸殻はほとんど有りません。違反切符を切られて怒る人もいるでしょうが、また区として費用も掛かるでしょうが、やれば出来るのです。どれほど町がきれいになり気持ち良くなったかを住民がよく知っています。
小さい六丁目町会ですが日本を代表する銀行が二行あり、上智大学、聖イグナチオ教会と心法寺、色とりどりの風景があります。子供の公園(サンサン広場)は昼食時には近隣お勤め人の素晴らしい憩いの場になっています。
《スクワール麹町》の階上から見る迎賓館・新宿の高層ビル方面の夕日はまた一見の価値がありますし、四月、桜の季節の四ツ谷駅はまた楽しい人の群れでいっぱいです。
私の夢はこれだけ大勢の通勤のかたが通ってこられる地域ですから、地元に住まわれる方の経営で個性ある店舗・町並みに出来ないかと言うことです。並木のライトアップも点灯したこと、ゆったりと麹町を散策するのがひとつのステイタスになれば万々歳ですね。麹町大通りへの玄関口としてみんなが住み易く、勤め易く仲良しの町にと願っています。
私も町会長歴十七年、近々町会長が交替します。