大名家をも潤した湧き水

麹町大通りからいちょう坂を進むと清水谷(しみずだに)へ続く坂に出ます。尾根道から一気に谷へと下りていくこの場所は、明治維新三傑の一人であった大久保利通が暗殺された紀尾井坂の変が起こった地点でもあります。

坂を下りきった先には紀尾井町通りが伸び、都心のオアシスである清水谷公園が広がっています。「清水谷」という地名は水が湧いた場所だから付いたといわれていますが、台地から下った先の低地で水が湧くことも、地形のデコボコが強調された地図を見れば理解しやすいのではないでしょうか。



高所の台地にあった尚泉水(=井戸)と比べると、人がどのように生活用水を得ていたのかがよくわかります。
また公園内には四谷御門から江戸城内に水を引いた玉川上水幹線の石枡も展示されていて、何かと水に関わりがある場所です。

清水谷から湧いた水は南側に溜池として蓄えられ、この地域の生活用水として活用されました。古地図にも大きく「溜池」と記載が見られます。現在では溜池は埋め立てられ、地名として「溜池山王」が残っています。

「紀尾井」という名は、紀州徳川家、尾張徳川家、彦根井伊家のそれぞれ1文字を取って付けられました。親藩の2家は、地域の水源を管理する重要な役割も担っていたようです(残り1家の水戸徳川家は後楽園で玉川上水を管理)。
名立たる大名らの屋敷として取られた広大な敷地は、明治時代には宮家の土地として、その後は大学や高級ホテルに受け継がれ、番町・麹町が現在も変わらずハイソな地域であることに貢献しているのです。

まち歩きの最後は、紀尾井町町会・ホテルニューオータニの長谷川さんの案内で、ホテルニューオータニの展望レストランへ。特別な計らいでお邪魔した高層階からは、いままで歩いてきた道のりも見渡せました。


 



<当日配付資料>

当日配布資料(画像)

 

 

 

 

 

 

 


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いかがでしたか? 地形を中心にまちを見てみると、そこから文化や歴史の不思議が解明され、より詳しくまちを知ることができました。
ぜひルートに沿って歩いて、麹町界隈の不思議に触れてみてください。