今年2009年は、夏目漱石門下で異彩を放った小説家・随筆家の内田百間(正しくは、間は門構えに月。1889-1971)の生誕120年の記念すべき年となり、5月29日はその百間の生誕から120年目の記念日にあたります。
このたび、地元の千代田区・六番町町会(会長:新井巌)では、これを記念して生誕日の5月29日に、その終焉の地に記念碑を設置いたしました。
(設置場所:千代田区六番町6 六番町共同ビル前植込み)
ここは、百間が昭和23年から昭和46年に没するまでの23年間を過ごした場所の近接地であり(実際の旧居跡地は、現在ではビルの一角になっています)、百間がはじめて番町(その時は、現在の五番町)に昭和12年に越してきた場所からも近い場所にあります。
内田百間は、本名・内田栄造。岡山県生まれ。夏目漱石門下となり、第1創作集『冥途』をはじめ、『旅順入城式』『実説艸平記』『東京焼尽』『阿房列車』『ノラや』など、独特の文体をもった小説・随筆を数多く書き残しています。
とくに『ノラや』はこの地域を舞台に、愛猫のノラが失踪し、それを必死に捜しまわる百間の心情溢れる随筆であり、今日も数多くの読者の共感をよんでいます。
生誕日当日は、とくに記念碑除幕の式典などは行ないませんが、午後6時頃より隣接地であります千代田区立番町小学校において、<百間先生大好物の『秋本』の「うな重」を食べる会>を催し百間先生を偲びます。
(*なお、記念碑設立については「六番町まちづくり基金」の協力のもとに建立いたしました。)
●内田百間とうなぎ
内田百間はその文体と同じく、食生活においてもきわめて独特の性癖をもち、気に入ったものは「毎日」1カ月ほど食べ続けるといった習慣があったそうです。中でも麹町の『秋本』(麹町3丁目4-4)のうなぎは大好物で「うな重」を1月近くも毎日取り続けたといいます。百間の葬儀には、秋本から「うな重」が届き、棺の中に納めたというエピソードもあります。