ラリースポットは麹町出張所地区の町会すべてに設定した全36ヶ所!
地域の見どころを巡ってまちの魅力を見つけてください!
千代田区丸の内1-8
町奉行所は江戸の町人地の司法や警察などを統括していました。
町奉行は北と南に分かれていましがたが、これは管轄地を南北に分けていたのではなく、月替わりで全てを担当していたのです。
千代田区有楽町2-9-18
町奉行所は江戸の町人地の司法や警察などを統括していました。
町奉行は北と南に分かれていましがたが、これは管轄地を南北に分けていたのではなく、月替わりで全てを担当していたのです。
千代田区内幸町1-5-1
樋口一葉は明治5年5月2日(新暦、西暦1872年)に東京府東京府庁構内(現在の内幸町)の長屋で生まれました。
千代田区霞が関1-1
法務省旧本館は明治28年(西暦1895年)に明治政府が推進した官庁集中計画で実現した建物です。
(スタンプスポットは門の近辺に設定していますので、建物の中に入る必要はありません)
千代田区永田町2-10-5
「山王さん」として親しまれている日枝神社は、最近ではパワースポットとしても有名です。良縁のご利益があるといわれている「まさる」も境内で見られます。
千代田区隼町4-1
国立劇場は昭和41年(西暦1966年)に開場した、主として日本の古典芸能を中心に上演する国立の劇場です。
(スタンプスポットは前庭付近に設定していますので、建物の中に入る必要はありません)
千代田区平河町1-7-5
文明10年(西暦1478年)に創建された平河天満宮は江戸の三大天神としても有名です。
千代田区平河町2-6
日本の洋画界を切り開いた黒田清輝(西暦1866-1924年)は、伯父の黒田清綱の養嗣子となり、この地で育っています。
(スタンプスポットは前庭付近に設定していますので、建物の中に入る必要はありません)
千代田区麹町1-1
半蔵門は江戸城の御門で唯一人物から名前が付けられています。通説では徳川家康の信が厚かった服部半蔵に城の西口の守りを任せたといわれています。
(スタンプスポットは歩道付近に設定していますので、門まで近づく必要はありません)
千代田区麹町2-14-3
この場所には「半七捕物長」や歌舞伎の「修善寺物語」で有名な作家の岡本綺堂が住んでいました。
(スタンプスポットは前庭付近に設定していますので、建物の中に入る必要はありません)
千代田区麹町3-2-13
麹町大通りから下り二番町に上る坂は、かつては鎮護山善国寺と呼ばれたお寺があったことから名付けられました。
千代田区麹町4-1-1
麹江戸時代の末期に極彩色の切り絵図が評判となった版元が金鱗堂尾張屋清七でした。当時は切り絵図は大変重宝され、金鱗堂も大変盛況だったといわれています。
千代田区麹町5-2-1
新宿通りの一部である麹町大通りは、江戸開府当時は敵に攻められたときに将軍らが逃れるための重要な道でした。
千代田区麹町6-4-2
※5月29日(日)は法要のためスタンプ取得はご遠慮ください。
心法寺は、徳川家康が三河から江戸に赴いた際に同行した然翁聖山和尚が開いた寺院です。
(スタンプスポットは入口付近の広報掲示板に設定していますので、境内に入る必要はありません)
千代田区紀尾井町1-2
昭和5年(西暦1930年)に李王家の東京邸として建てられ、クラシックな佇まいが歴史を感じさせる建物です。
千代田区一番町18-1
「荒城の月」や「花」などで有名な作曲家・瀧廉太郎は麹町小学校の出身で、現在も一番町町会の主催で毎年9月頃に「瀧廉太郎を偲ぶ会」が開かれています。
千代田区二番町11
昭和時代には「女の吉川英治」と言われたほど多くの著作を残した吉屋信子は、戦後になって二番町に吉田五十八の設計した純和数の家に住んでいました。
(スタンプスポットは歩道付近に設定しています。旧居跡の建物は建替工事中ですので安全に注意してください)
千代田区三番町24-13
盲目の国学者である塙保己一は「和学講談所」を設立し、そこでさまざまな資料を蒐集し編纂したのが『群書類従』です。
千代田区四番町9-3
与謝野鉄幹(当時は寛に改名)は『明星』を通じて晶子と結婚し、四番町に家を構えました。
この家の時代に晶子はシベリア鉄道に乗って単身海外へ旅立っています。
千代田区六番町6
夏目漱石の門下生の1人で、諧謔に富んだ随筆や小説を多数執筆した内田百閒は、昭和12年(西暦1937年)に五番町に越してきました。
千代田区六番町5
「夜叉ヶ池」「高野聖」などの作者、泉鏡花は、「婦系図」のモデルとなった夫人とともに、有島邸の隣にあった二軒長屋に亡くなるまで住み続けました。