六番町町会
【沿革】
徳川家康は、江戸に居を定めた時からこの界隈に直轄の武士団である大番衆を住まわせ、その六番組の屋敷があるあたりを六番丁と呼んでいた。
現在、番町小学校が建っている場所には、江戸時代は定火消の役屋敷や上野小幡藩の上屋敷があり、四谷門寄りの広い敷地には尾張藩付家老の成瀬隼人正の上屋敷、一番地にはペリー来訪時に応接した町奉行・井戸覚弘の屋敷などがあった。
明治以降、町名は下六番町となり、昭和13年(1938年)より現行の「六番町」になる。
明治から昭和にかけては、数多くの文化人たちや高級官僚の住む住宅地として発展し、島崎藤村、泉鏡花、島木赤彦、有島武郎、里見弴(とん)、水上瀧太郎、菊池寛、直木三十五、内田百閒などの文学者たちをはじめ、画家の有島生馬、藤田嗣治あるいは歌舞伎俳優の初世中村吉右衛門、初世市川猿翁、二世中村又五郎、三世市川猿之助、長唄の吉住慈恭などといった人たちも六番町の住人であった。
また、日本の近代的女性を育んだ「明治女学校」、日本の歌壇の中心的存在であった「アララギ出版所」、菊池寛が創立した「文藝春秋社」、「白樺派」の誕生に貢献した有島邸や若い作家たちが集った鏡花宅など、まさに六番町から日本の近代が開花したといっても過言ではない。
現在、六番町は区立番町小学校(幼稚園)や私立雙葉学園(幼・小・中・高)の他に複数の専修学校などを擁する区内でも屈指の文教地区であり、いくつかの有名企業も区域内で活動している。
昭和23年には、町内に自主的な組織として「六親会」が発足。その後の昭和29年に六親会が「六番町町会」と改称され、これを記念して現在も活躍している子供御輿と山車太鼓を新調された。
※以上連合町会50周年誌「六番町町会」からの一部転載
【現況と活動】
現在の町会の活動は、新年会、ニューイヤーコンサート観賞、新一年生の入学祝い、大人の暑気払い、シニアランチョン(敬老会)、子供のためのクラシックコンサート、歌舞伎鑑賞、クリスマス・ミニコンサートなど多彩な催しを毎年開催しています。また日枝神社例大祭への参加や、どなたでもご参加いただけるお茶会は毎月開催しており、これらの企画や活動は、広報誌「六番町物語」や町会のLINEとInstagramで、町内の出来事として皆様に定期的にお知らせしています。


子育て中のご家庭、お一人で暮らしている方、高齢者なども安心して暮らせる町として、これからも住民や企業の方々のご協力を得て、落ち着いたあたたかい町づくりを心掛けたいと思います。
町会長

町会長 恩田 妙子
歴代町会長
| 8代 | 恩田 妙子 | 令和7年〜 |
| 7代 | 新井 巌 | 平成9年〜令和7年 |
| 6代 | 荻生 誠 | 平成5年〜9年 |
| 5代 | 加藤 鉄郎 | 平成3年〜5年 |
| 4代 | 渡部 栄一 | 昭和62年〜平成3年 |
| 3代 | 池田 一 | 昭和43年〜62年 |
| 2代 | 佐藤 嘉三郎 | 昭和35年〜43年* |
| 初代 | 佐藤 隆三 | 昭和23年〜35年 六親会* |