五番町町会
五番町の町名は昭和13年に行われた区画整理事業で名称変更され、約90年続いています。遡って、明治の世となる前は武家地として土手三番町と俗称され明治2年から5年にかけて正式に町名がつけられた時に土手三番町と表六番町の一部が五番町となりました。
五番町の広さは86,400平方メートル(約26,136坪)あり、土手沿いの東西に長い形をしています。また、町内の中央に新坂、東端に帯坂(切通坂)、西側に三年坂と、三つの坂があります。
新坂は明治44年の「東京市麹町区全図」には記載されていますが、明治39年の陸軍参謀本部作成の地図には載っていない為、明治の終わり頃に作られた道と思われます。
帯坂(切通坂)は「番町皿屋敷」のお菊に関わりのあった坂といわれていますが確証はなく、各地にある伝説から無理につけたというのが定説です。また、切通坂の名称は寛永13年の江戸城総廊定成時に市ヶ谷御門から表六番町通り(現二七通り)に通ずる坂道として作られ、名づけられたとされています。
三年坂は三念寺という寺地に隣接していたことから三念寺坂と呼ばれていたものが転化したともいわれています。
市ヶ谷御門は明治4年、渡櫓門(わたりやぐらもん)などの破却、明治32年、枡形石垣(ますがたいしがき)の一部、大正2年、枡形石垣の全てが撤去されて現在に至ります。なお、日比谷公園には市ヶ谷門の石垣の一部と伝えられる「烏帽子石」と呼ばれる巨石が残っています。
五番町町会としては、昭和30年(1955年)4月に正式に発足いたしました。
町会発足当時、日枝神社の例祭ではテント掛けの神酒所を作り、タル神輿を担いで子供たちを楽しませていました。しかし、昭和の終わり頃、神酒所を構えても参加者が少ないという理由で祭礼行事の中断を余儀なくされていました。
平成16年(2004年)に町会の活性化を目的に神酒所設営が再開されました。地域住民の減少のために担ぎ手が少なくなっていましたが、近隣町会との合同事業という形で協力し合って番町連合を結成しました。幸神祭巡行、神輿宮入、番町地域での山車・神輿巡行や市ヶ谷駅への神輿繰り込みなどを行えるようになりました。また、近隣小学校の協力により日枝神社神幸祭での附け祭りが復活でき、小学生の元気な声が大通りに響くようになりました。お陰様で近年では町内の子供たちの参加が増え、子供神輿の町内巡行も復活できました。


地域活動としては近隣町会との協力により番町子ども会を発足させ、番町小学校と愛育会の協力のもと、新年の獅子舞・餅つき、夏のラジオ体操会、夏の番町子ども会を行っています。また、サンさん秋祭りや日テレ通り盆踊りなどへの協力、潮干狩り、ぶどう狩りなどの旅行会の開催や体育大会参加などを通して住民同士の交流の場を作っています。
町会長

町会長 横山 義文
歴代町会長
| 5代 | 横山 義文 | 平成14年~ |
| 4代 | 久保 金彌 | 昭和61年~平成14年 |
| 3代 | 横山 福市 | 昭和55年~61年 |
| 2代 | 岩谷 誠 | 昭和50年~55年 |
| 初代 | 室橋 民衛 | 昭和30年~50年 |