四番町町会
四番町町会は今年(2025年)、創立70周年を迎えます。

現在の町会とは目的や組織はかなり違うようですが、その原型にあたるものが大正時代にできたようです。大正12年9月1日に発生した関東大震災により、防犯や配給物資の配分等の対応から組織が必要となり、中六番町町会の発足となりました。
大正12年の震災後発足した中六番町町会の初代会長は、南画の巨匠小室翠雲氏で、住まいは私が現在住んでいる四番町ビルが建っているところあたりだそうです。昭和13年、中六番町が四番町と町名が変わり、四番町町会となりましたが、太平洋戦争の戦火のもと自然消滅しました。
戦後、前町会長の杉田宗一氏のお父様である杉田伊三郎氏のご努力で、昭和30年1月23日に千代田女学園講堂で設立総会が開かれ、四番町町会が発足しました。四番町は古来旗本達の住宅地で、それが屋敷町と変わり、現在の「番町の庭」から東郷坂下交差点までの通りは通称「大臣横丁」と呼ばれるほど多くの大臣、有名人が住んでいたようです。元文部大臣中橋徳五郎氏、中島飛行機の創始者で元商工大臣の中島知久平氏、元司法大臣木村尚達氏、元首相若槻礼次郎氏、元東京府知事牛塚虎太郎氏、元早稲田大学総長島田孝一氏等々。
私は、四番町町会の第七代の町会長になります。初代杉田伊三郎氏、第2代山名勇氏、第3代保坂重三氏、第4代山名勇氏、第5代三田昇氏、第6代杉田宗一氏です。
四番町町会設立当初神輿はありませんでしたが、人口増に伴い子供が増加し、昭和34年に初代会長の杉田伊三郎氏や役員の方々のご尽力により、神輿と山車が作られ、日枝神社の山王祭に参加するようになりました。
第2代の山名勇氏が町会長になられた時期は事業所が増えてきて、山名氏が法人会員を増やそうと尽力されました。第3代の保坂重三在任中に都営第2住宅と都営第3住宅の建て替えがあり、その機会に都営第3アパート内に四番町町会の神輿倉庫を確保するよう尽力され、現在に至っています。またサイエンスプラザ建設の際、構内を横切る通路を作ることに尽力されました。番町学園通りと番町文人通りを南北につなぐ貴重な通路となっています。
6代の杉田宗一氏の時、四番町六番地の再開発があり現在の番町東急ビルが建ちましたが、その際当ビル前に山王祭の四番町町会の神酒所の設置場所を確保するよう尽力されました。
これらの町会長の皆様をはじめ副会長・婦人部長等の役員の皆様のご尽力があって、現在の四番町町会があると思います。先人の皆様のご尽力に感謝申し上げます。
町会の役割は「お祭り(行事)」と「災害対応」だと思います。日頃のお祭りや行事で顔見知りになり、災害が起こったときに力を合わせて対応する。そんな役割が果たせたらいいなと思います。
素晴らしい四番町が、さらに住み良い町になるよう、町会がその一翼を担うことができれば幸いです。

町会長

町会長 鏑木 耕三
歴代町会長
| 7代 | 鏑木 耕三 | 令和3年~ |
| 6代 | 杉田 宗一 | 平成17年~令和3年 |
| 5代 | 三田 昇 | 平成11年~17年 |
| 4代 | 山名 勇 | 平成8年~11年 |
| 3代 | 保坂 重三 | 平成2年~8年 |
| 2代 | 山名 勇 | 昭和52年~平成2年 |
| 初代 | 杉田 伊三郎 | 昭和30年~51年 |