町会のご紹介-麴町四丁目町会-

麴町四丁目町会

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 麹町四丁目の町域は、昭和9年の東京市政50周年記念事業として行われた町会整備事業として麹町五丁目の⼀部、麹町六丁目、麹町七丁目と元園町を糾合して現在の町域となり、垣見八郎右衛門氏(麹町区議、東京市会議員、麹町銀行発起人)が会長に就任されました。

 戦後、再び力強く復興へと歩み始めた町会の先人たちの思いは「日赤奉仕団」の活動を通じて昭和24年、民主組織である「福四会」へと結実し、ポツダム政令廃止にともない、日枝神社の祭礼が復活した翌々年、初代会長小菅長四郎氏のご尽力により、昭和29年4月民主的な基礎的自治組織として麹町四丁目町会が発足いたしました。

 昭和34年皇太子殿下御成婚を祝し、町会旗を新調し日枝神社にて入魂式を挙行いたしました。昭和39年の東京オリンピックを境に、国道20号線の道路拡幅、昭和49年の地下鉄有楽町線「銀座〜池袋間」開通でビル化が進展し、麹町四丁目界隈はオフィス街へと変貌して行きます。その後、時代は高度経済成長からバブル経済へと移行し、多くの町会員がこの地を去ることになりますが、昭和60年には八番地再開発協議会が設立され、平成4年9月に「クリスタル・シティ」として落成をみることとなりました。また、平成23年には五番地の第六、第七、第八麹町ビルも再開発事業が行われ「麹町パークハウス」となり、一部の町会員が再び戻ってまいりました。

 麹町四丁目一番地の角に建つ三菱UFJ銀行は明治22年に設立された麹町銀行であり、江戸時代は五色刷りの切絵図の版元として有名であった尾張屋清七の金鱗堂があった地です。プリンス通り(かつての大横町)を入った角には今から240年ほど前の天明年間に伏見稲荷から勧請された豊栄稲荷が今も祀られております。

 深いことの喩えを「麹町の井戸」と言われたようですが、旗本屋敷の井戸を始め町屋の井戸の分布密度はかなり高かったと言われております。井戸といえば大震災の折、水を求めて麹町に集まってきた人に開放した井戸が「尚泉水」と命名され、今も二番地の住友不動産麹町ファーストビルの豊受稲荷の隣に、碑とともに残されております。

 江戸の頃、麹町「岩城桝屋」と並び称される呉服商「伊勢八」、御三家御用菓子舗「豊福」「亀沢」など高級商店街を成し、明治に入り「田中銀行」「麹町銀行」等の個人銀行が居並び、日本最初の女子薬学校「明治薬科大学」を創設した恩田重信邸が七番地に、その裏手には二頭馬車が出入りした山内侯爵邸(現参議院議員宿舎)がありました。昭和に入って雑誌「少女の友」の挿絵で一躍有名になった中原淳一のグッズ店「ひまわりや」が一番地に、18代目中村勘三郎が先代とともに過ごした居宅が五番地にありました。

 最後になりますが、麹町四丁目町会を見守り、お支え、ご尽力くださいましたすべての皆様に心より感謝いたします。有難うございました。

町会長

町会長 小林 武彦

歴代町会長

7代小林 武彦令和4年〜
(代行 小林 武彦)令和3年〜4年
6代笠井 清純平成17年〜令和3年
5代内田 進久平成4年〜17年
4代中村 俊一昭和59年〜平成4年
3代桜井 潔昭和45年〜59年
2代石坂 清重昭和39年〜45年
初代    小菅 長四郎    昭和29年〜39年

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